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サコクシロ2

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10/26追記:太古の五行感推察
10/19追記: 訂正1 訂正2 10/26 訂正3 以後10/19付記1 付記2 付記3(検索) 付記4 

こんにちは
永らくお待たせしました。サコクシロNO.2 ようやく記事アップができました。
実は、パソコンが壊れてしまい、作業が不可能となっていました。画像などの保存データを無くしてしまったのです。
それで、データの復旧屋さんにお願いして、新しいPCなど用意していたのですが、次々に新たな発見というか、考察を迫られる日々が続いてようやくアップまでこぎつけました。

本題

伊勢をめぐるライン
サコ、サク という地名は岩手県、愛知県の2県がとくに多く、これらの地名を佐久市岩村田とつなぐと、その延長線上には伊勢方面が現れます。 ホツマツタエは天照の業績などを伝えたものが多く やはり! と思えます。
今回は長野県佐久市岩村田を中心に伊勢方面、東北方面それぞれにつながる5本のラインを紹介します。



1.岩手県久慈市砂子-佐久市岩村田-愛知県蒲郡市三谷町大迫 ラインから少しそれ新城市のサクや他のサコ・サクも近接します。
2.岩手県下閉伊郡岩泉町穴沢大作山-岩手県花巻市大迫町大迫-佐久市岩村田-三重県志摩市浜島町迫子
3.山形県南陽市和田西大作-佐久市岩村田-愛知県西尾市鳥羽町北迫-愛知県西尾市一色町佐久島 東北方面へのこのラインを伸ばすと複数のサコ・サクが近接
4.宮城県栗原市一迫坂下西-佐久市岩村田-岐阜県恵那市上矢作町-伊勢豊受大神宮(外宮)
5.福島県大作山記念広場--佐久市岩村田-和歌山県田辺市迫戸 このラインも延長すると近接する同名が現れます。

読者の皆さんのOSの負荷に配慮して今回は五本だけラインを上げましたが岩村田を起点とすると他のサコ、サクのほとんどが神風クシロを形成するようです。

さて、この伊勢-東北 ライン群を引き始めたとき、きっと皇大神宮(内宮)など重要施設とも繋がる。 そう期待をしてラインを引いたわけですが伊勢とつながるライン上に現れたのは 外宮 のみでした。 ほか二見が浦(二見輿玉神社)が近接しますが、今回は省きました。 また倭姫が御神器を奉戴して行幸された重要ポイントとして瀧原宮なども調べましたがどうしてもラインに近接とまでは至りませんでした。
しかしはっきりと外宮に到達するラインがあるのは事実です。伊勢から見ると長野県佐久市岩村田は東北(真鬼門)に当たる位置です。重力と中心軸で説明したように軸の働きを持つのがキモンといわれる方位です。
古代においてサコクシロが働く方位を無視しないはずがありません。
三河湾の中央に浮かぶ島が佐久島となずけられているのも伊勢から見て東北、サコクシロのある方位と考えていたのは間違いないでしょう。
豊受大神宮(外宮)が祀られるようになったのは雄略天皇456-479の時だといわれます。 伊勢神宮を整備された倭姫は崇神天皇(前97-前30)の頃から90年かけて移動そして神域の整備をされたといいます。随分年数的に開きがあります。陰陽道が確立してきた年代とも関連があるのかもしれません。
雄略天皇という方はかなり強引な天皇だったようでイノシシの狩りに出かけた折、舎人がうまく射当てないのでその舎人を成敗しようとして皇后になだめられたという逸話が残っています。ですが、そのような方ですから大和朝廷の王権も大いに拡大された天皇だったようです。 ですがその当時、「あそこからここは一直線に結ばれるからここはサコだ!」 などと地名を決定できるような技術があったのでしょうか。それですべての人が「うん!クシロで結ばれるからサコ!」と皆が分かったのでしょうか?謎が深まるラインです。 
付記4:
参考サイト 倭姫命の足跡

サコクシロの本拠地 
サコクシロ1で紹介したラインや今回の伊勢ラインでサコクシロの本拠地はほぼ佐久市岩村田と限定できるかと思います。ラインのほとんどが 大井城を通過するのです。
大井城の縄張りは、おおむね以下の図のようになります

上から石並城(イセナラビともイセナミとも呼びます)、中央の王城、黒岩城 三つの城を総称して大井城といいます。
ここで石をイセと発音しています。三重県の伊勢を意識してなずけたものでしょうか。 ところがどうも違うようで太古は特定の場所に置く石のことをイセと呼んだようです。秋田県に伊勢堂岱遺跡(いせどうたいいせき)というのがあり遺跡というのは地名を充てるのが普通ですから発音として伊勢堂岱遺跡のところをイセと発音していたものと言えるでしょう。現代ではイセの発音は三重県の伊勢がイメージされることが多いですが太古にはイセが随所にあったのです。

イセの発音の推理から大井氏が開発したこの大井城は太古の遺跡しかもストーンサークル(環状列石)だったという推理が成り立ちます。
 
近くの佐久穂町には2.3mの石棒縄文晩期訂正→縄文中期)が見つかっています。 
付記1:
参考ページ佐久地方の古代遺産 ―縄文時代〈前期・中期〉―  岩村田の地名50音。語源。(佐久ホテルのブログ)  大湯環状列石再考2
サコクシロに存在したであろう環状列石はさらに古く少なくとも縄文中早期(5000年以上前)あたりではないでしょうか。 
秋田県の大湯環状列石はわが国ではもっとも有名ですが、二つの大きなストーンサークルからなる遺跡です。
奈良時代の仁徳天皇陵の広大さなどのことを思うと岩村田の原型となったストーンサークルは非常に大きなものであったことが推測されます。小さくとも直径200メートル以上のストーンサークルが二つあったことが予測されます。
また岩村田という地名は大変珍しく特定の場所だからつけられた名称とも言えるでしょう。 

ホツマツタエにイクラムヲワタイクラムヲワタ訂正→イクラムワタヲ)という用語が出てきます。 説明文を見ると五臓六腑の働きを示しているそうです。
不思議なことに黒岩城の黒をクヲと読むとクヲイワムラタとなりイクラムワタヲを並べ替えたことになります。
また黒岩城あたりの字名を岩村田といいます。大井城跡地がイワムラタの地名の語源なのは間違いなさそうです。
では、クヲイワムラタが五臓六腑を示す何らかの発音なのでしょうか?またしても新たな疑問に直面しました。

石並黒岩村田=イセナラビクヲイワムラタ 濁音はないはずなので イセナラヒ クヲイワムラタ という57調の和歌が浮かんできます。 「石に習い 句を言いましょう ラタ」なんのこっちゃー? と思うのですがどうしてもそのような解釈になってしまうのです。

石にならう、とはフトマニということでしょうか、とするとストーンサークルとはフトマニ図?
そこで大湯のストーンサークルの石の配置を上から俯瞰すると何重もの円になっています。ホツマのフトマニ図が石組であらわされているようにも見えます。
フトマニから顕れる意識、それを呼び出す言霊がラタということなのでしょうか。
そんなとき協力者のモモスケさんから「確かにラとタはヲシテ文字でも対象になっているからなにかあるかも」と言ってきました。
ここでラタのヲシテ文字を見てみましょう。
(ラ) (タ)
相対する文字構造になっていることが分かります。実は文字構造が相対象だということは
日本言霊学の観点からはラは物質化 タは対象力 といえそうです。つまりラタの発音は対象力による具現化と解釈できそうです。
したがって
イセナラヒ クヲイワムラタ は フトマニからの具現化の句とはラタ であるということになります。
何度も考えてみるのですが、この答えが一番自然なのです。 

こんな考察がありまして、今僕のイメージの中では 岩村田=イワム・ラタ という遺跡名になっています。
イワム・ラタ なんとなく南米ぽい名前です。 ところが協力者のNSYさんが実際に南米にラタという発音がつく地名を見つけてくれました。不思議なことが重なって現実味を帯びたことになってきました。
サコクシロとは佐久市岩村田に存在した 巨大フトマニから意識の具現化(発音化)した実態と言えるのではないでしょうか。 
付記3(検索):
Google - ホツマ 五臓六腑

石の並びから地名を付けた?  
ふと僕は(宮沢健二→宮澤賢治)の銀河鉄道の夜の一節が思い浮かびました。
「ジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍
ほたる
のように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃

い鋼青
こうせい
のそらの野原にたちました。いま新らしく灼

いたばかりの青い鋼
はがね
の板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。
 するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション・・・・・」

ジョバンニのイメージ「天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって」 の一節のように並べられた石からのイメージが日本列島を浮かび上がらせたのでは? 
意識が日本列島を創った? 
しかも並べられた石から? 
付記2:
銀河鉄道の夜 (イメージと音楽)
銀河鉄道の夜 (イメージと物語)

現在、通常のホツマ解釈では数詞とされ深く追及されていない言葉で羽根と云うところのクシロも調べていますが
やはり中心となるポイントがあるようです。羽根という地名は大変古くから存在するようで地名の由来もあやふやなところがほとんどですが出土例などをみても古い土地であることは間違いないようです。つまり発音も古くからハネと呼んできたのです。
羽根クシロについてまで詳しく発表するつもりはないのですが、サコクシロと同様に古いクシロであろうと予測できます。多すぎるサク・サコの地名を補うべく少ない地名の羽根で同様の超神風クシロが成り立てばサコクシロの証明の助けになるからです。そしてそれは存在しました。やはり伊勢神宮の場所はこの羽根クシロも意識して選ばれているようです。
三次元物理からは想像もつかない世界が垣間見えるようです。 もともと考古学は推論の世界です。それが発展してこうした論理に行き着いたとしても全然おかしくないと考えています。
そして、なによりも サコクシロが存在しているこの事実が雄弁に物語っています。

次回は中国地方、四国などにつながるクシロラインの考察を発表する予定です。またどの様に俯瞰したかの考察も発表します。

最後までお読みいただきありがとうございました。
 

10/26追記:太古の五行感推察
サコクシロの記事とは直接の関連がありませんが、太古の五行感についてうっすらと見えてきたので発表します。
五行  ホツマ発音  
木気  ウツホ
火気  ホ
土気  ハニ
金気  カセ
水気  ミツ

おそらくこのような解釈になるかと(相克)制御しあって存在するパターン を太古はもっとも意識していたのではないかと、あくまでも私の解釈ですが

ウツホ(空)はカセ(風)によって制御される 雲の動きは天気、日照などを剋します
カセ(風)はホ(火の気)に支配される 火を起こすところに風が集まる。 気流の流れを剋します
ホ(火の気)はミツ(水)に支配される 火は水によって制御(克)されます。灯明などはわずかに水を加えると明るさを増します。
ミツ(水)はハニによって抑えられます(克)水の流れは土によって強くも弱くも調整されます。
ハニ(土)はウツホ(空)によって左右されます。春夏秋冬の空の動きに土は剋されています。

それと相生関連で
地名に稀に ウツボ と呼ぶところがありますが 発音から ウツホ と ホ を重ねた発音ではないかと
すなわち 木生火 の形を土地の名称につけたと考えられる場合があります。濁音は物質化という働きもあります。
これはクシロ(今回のサコクシロではありません)を利用して呪術を行った形跡がないか調べていた折、見つけました 
ウツボ(木生火)の中間にミツナシ(火が剋されない) を見つけたのです。 つまり
木生火 火 木生火 の暗号的ラインが、ある断層を正確に横断するのです。
地震は太古より鎮めるための方策がなされているようです。 ですから 断層上には日本の至る所、神社が並びます。八百万の神で地震を鎮めるのにやっきだった、といっても過言ではないかもしれません。
この 火-火-火 のラインの中央の神社には 下照光姫命 さまが祀られていました。 
この神様は通常、高照姫 として祀られていると多くの解読で伝えているのですが、こうしたラインの中央で断層上に通常は使わないほうの お名前で祀られている なにか特別な意味を感ぜずにはいられません。
(下照光姫命 が祀られている神社には狛犬がありませんでした。 参道も鳥居をくぐって直角に左に折れそして右に折れて神社の正面に向かうという特殊な構造でした。 そうした普通とは違う形式がより特殊なものを感じた理由です。) 
こうした事実も 今後のホツマツタエの解読に加味されることを願っています。 
本来の真相をホツマツタエから探ってゆくのはこれからなのかもしれません。
ちなみに記紀では 下照姫 を天若彦の妻としていて多くを語っていません。天若彦が天に逆らって死んだ折、それを確認にきたアジスキタカヒコネが天若彦とそっくりだったのでたいそう喜んだがアジスキは死んだ人に似ているとはけしからんといって大そう怒ったそうです。(記紀略)

なんらかの御縁で 下照光姫命 さまを発掘させていただいたのだとサイトを通じご紹介をさせていただいた次第です。
参考:Wikipedia シタテルヒメ

その後また下照光姫命をあれやこれやと調べると和歌の元をつくられた和歌姫と下照姫は同一人物のようです。
断層の活動を鎮めるために下照姫を祀ったのでしょうか。言霊で断層の動きを鎮めるそんな目的があったのかもしれません 相対するウツボの言霊の中心を断層として言霊の旋律を奏でられた下照光姫命を祀った呪術の一種だったのでしょうか。 
神様の名前で尊ではなく命を使う場合、肉体をもっておられたということが推察されます。現在でも神葬祭では諡に○○の命として祀ります。

特殊なライン上に言霊に関係の深い神を祀る なにやら凄い意味があったのはまちがいありません。
 
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